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いじめによる自殺証明書とかいうのを送った人、どうなったんでしょうね?
全然ニュースになってないので、多分阻止されたんでしょう。
私は自殺するような人を助ける必要ないと思います。
少なくとも、いじめから立ち直ろうと努力をする人こそ救済する必要があるのでは。
自殺の事ばっかりを考えてる人なんて死人と同じ。
「生きている」なんて認める価値も無い。
全然ニュースになってないので、多分阻止されたんでしょう。
私は自殺するような人を助ける必要ないと思います。
少なくとも、いじめから立ち直ろうと努力をする人こそ救済する必要があるのでは。
自殺の事ばっかりを考えてる人なんて死人と同じ。
「生きている」なんて認める価値も無い。
過去に経験があるので言いますが、いじめは心の弱さです。
やる側もやられる側も、どちらも原因があるものです。
「きもい」とか「死ね」なんて言葉は所詮は気休めやいじめの理由付けなんですよ。
どんなに傷ついても、本気でその言葉を信じてはいけません。
話してくれないなら話さなければいい。何かされるなら出来無いようにしてしまえばいい。
弱く見えたり怯えてたりするのが更にエスカレートさせるんです。
いじめというのはそういうのを愉しむものですから。
無論、いじめられる側に問題が無いといえばそうではないです。
いじめを無くそうとするのではなく、いじめを克服出来る様にする事が大事。
先生や親や友達や教育委員会だって、所詮は他人。
他人にとっては他人事だし、関係ないんですから、当然ながら真剣に考えてなんてくれない。
では誰を頼ればいいか。それこそが「自分」です。
「いじめ」というのは、社会に出て初めて立ち向かう壁では無いでしょうか。
これを乗り越えられなければ、後に会社や世間から受ける仕打ちには耐えられません。
社会では必ずといっていいほど自立する必要があります。
セクハラ(性的暴力)やパワハラ(地位的暴力)、リストラ(強制解雇)、DV(家庭内暴力)・・・
そういったものは結局「いじめ」と似た部分があります。
ですから、いじめは何処へ行っても消し去れるものではない訳です。
消し去れないなら、克服するしかない。
それにはまず、自分を信じるしかないのです。
次に、「why(なぜ)」では無く、「how(どうすれば)」に思考を変える。
「何でいじめられるのか?」と延々と考えるより、
「どうすればいじめられなくなるか?」を考えたほうが近道になります。
いじめの理由なんてくだらない事ですから。(「転校生だから」とか「弱そうだから」とか。)
とにかく、ひたすらプラス方向に考えること。
マイナス思考というのは確実に自殺へ繋がります。
いじめの不満を他の人に押し付けてはいけない。
どんなに辛くても、泣いてはいけないし恨んでもいけない。
本人が認め、改心し、努力しなければ、いじめは乗り越えられない。
何もしないのに、ただいじめを無くそうとするだけでは、また同じ事を繰り返す。
まずは自分自身が強くならなければ変わらないし、自殺というのは自分を裏切る行為に等しい。
自殺証明書なんか書いたって、結局自殺に逃げたら負けです。
何の格好もつきません。「結局何なのこの人?」って思われるだけ。
私だったらそんなの貰ってもチラシと一緒に即ゴミ箱行きです。
決して酷い話じゃありません。見ず知らずの人からいきなりそんな手紙くれても、
意味がわからない。はっきり言って迷惑行為です。
"自分の人生だからって甘ったれるな。他人が何とかしてくれるなんて考えるな。"
これがいじめ克服の鉄則です。
それでも死にたいと思うなら、誰にも止める権利は無いし、
自殺なんて他人から見れば他人事なんだから。
「今、あなたの目の前にあるのがこの世界の全てではない。」
という言葉で私は「いじめ」というもののちっぽけさを知りました。
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